「おい、いい加減起きろ」
「あー……」
絵に描いたような低血圧。目の下には酷い隈。
寝起きのトラファルガーは、その視線だけで人を射殺せそうだ。
「睨んでんじゃねーよ」
「……睨んでねぇよ」
お互い喧嘩腰なのも仕方ねぇ。俺も朝が得意だと言うわけじゃあないし、冬島であるここの朝は酷く寒い。
冷たい朝は無くした片腕が痛む、気がする。
「痛むのか？」
「あ？　別に。そんな気がすんだけ」
まったく、目敏い奴。医者と言うのは全員お節介なのか、それともお節介が医者になるんだか……

「むやみに摩るな。こっちへ寄越せ」
「はいはい。どーぞご覧ください、センセ」
かろうじて起こしていた上半身を再びベッドに沈ませる。シーツをかき分けてきたトラファルガーは、俺の歪な片腕をじっと見つめた。
「幻肢痛って訳でもなさそうだな。寒いからか……」
「げんしつう」
「なら暖めりゃ多少良くなるだろ」
良くわからない単語を漏らしながら、トラファルガーは壊れ物を扱う様に千切れた腕に両手を添える。浅黒い肌と茶色の傷痕は不思議と似通っていた。やがて、じんわりとした温かさが腕の先へと移ってくる。
「ぬくい」
「そりゃ重畳だな。もう少しこうしていろ」
「あー……でも、寝ちまうかもなァ」
柔らかいマットレスと、柔らかい掌。さっきようやくこじ開けた瞼はあっという間に落ちてきちまう。
「起こしてやるよ。おやすみ、キッド」
にんまり、優しいお医者様はそれはそれは悪い顔で笑いやがった
【Hide More】

「俺を忘れるなよ。」
いつもこうだ。トラファルガーは俺と別れるときいつもこのセリフを言う。怒ったように、悲しむように、慈しむように…表情はその時々によって違うが、言葉だけは変わらなかった。
「いつもそれを言うが、俺がお前を忘れたことがあったかよ。」
「はっ…言うようになったじゃねぇか、キッドの坊や。」
「ざけんな…なぁお前、誰を見てその言葉言ってんだ。」
「は？ユースタス屋に決まってるだろ？他に誰がいるんだよ。」
いいや違う。確かに俺に向かって言っている言葉ではあるが、それは俺越しの誰かに向けていっている言葉なのだ。トラファルガーは存外嘘が下手だ。彷徨い始めた視線を無理矢理俺に向かせ、吐き捨てるように囁いた。
「いもしねぇ奴への願いを、俺に言うんじゃねぇ。不愉快だ。」
そのまま軽くトラファルガーを突き放し、背を向けた。追いすがってはこなかった。…あの言葉も、追いかけてはこなかった。
なぁトラファルガー。お前は俺に、誰を重ねて見ているんだ？

立ち去る深紅の上着に、心の中だけで「俺を忘れるなよ。」と囁く。幼い頃、漆黒の上着に向かって言えなかったことを悔いるように。
【Hide More】

スコープ越しに見る世界はいつも少しだけ曇っていた。
温めた牛乳にできる膜がある。あれが目に張り付いていると思ってくれてもいい。
何を考えているかわからない。クール。冷たい。情がない
自分を表現してくる言葉が正しいのかどうかも分からない。ぼんやりと、そんなものかと思うくらいで。
ただ、白い膜の内側に自分がいる限りは安心だった。極彩色の感情が入り込む隙間なんかない。白を混ぜた濁った色が流れては消えていくだけの毎日だったから。
でももう、この膜とはお別れだ。
俺は本物の透明な、限りなく透明なスコープを覗かなきゃいけないから。
覗いた先には、憎たらしい黄色ときらきら眩しい同級生の笑顔が浮かんでいる。




あとがき
アサシンクラス（かっこいい）では千葉君が一番好きなんですけど、彼はE組に来て感情表現が豊かになったと考えると興奮しませんか？
彼は長年「他人なんか関係ない」と考えていた気がします。その考えが「他者と協力しないと自分が死ぬ」状況に追い込まれて、「他人との関係は重要」に変化したと思うとすごく美味しいです。かつて自分を守った「無関心」からの脱却が、彼を射撃成績一位の高みにあげたと信じています。
まぁ何が言いたいかといいますと、速水ちゃんといちゃついてる放課後の話が読みたいです。
【Hide More】

さてさて、とある夏島の酒場である。怠惰で退廃的な気候、原色の織物をはだける美しい女、甘い言葉を吐く若い男…いわゆる典型的な海賊相手に商売をしている町の片隅にそのバーはあった。マスターとひょろ長いバーテンの2人でまわしている、路地の奥の小さなバーである。

「マスター、ファジーネーブルを。」「かしこまりました。お連れ様はなにを？」「ラムを瓶ごと頼む。」「はい、ただいま。」
そんなこじんまりとしたバーを揺るがす客が、今夜は訪れていた。ユースタス・〝キャプテン〝・キッドと死の外科医トラファルガー・ローである。2人とも部下は連れておらず、お互い単身でこの店に来たようであった。店内に入り迷わずカウンター席に座る2人からは、香水に紛れてなお消えぬ血の臭いがした。海賊上がりのマスターは片眉を跳ね上げただけであったが、隣のバーテンはすわ決闘か戦争かと気が気ではない様子で何度も同じグラスを磨いている。

「はん。相変わらず甘い酒ばかり飲むんだな、ユースタス屋。」「五月蝿い。それより、なんか食うか？」「あー…じゃあ、ナッツと」
お前を
カチャーンとガラスが割れる澄んだ音がジャズが流れる店内に響く。目の前のトラファルガーが囁いた言葉が信じられず、バーテンがグラスを取り落としたのだ。
「も、も、申し訳ありません！」
そのひょろ長い体を精一杯すくめながら謝るバーテンの脳裏には早々と走馬燈が駆け巡り、血祭りにあげられる自分自身が浮かんでいた。

「お客様、大変失礼いたしました。お詫びにもなりませんが、こちらを。」
涙目のバーテンの尻を蹴飛ばすようにして掃除用具を取りに行かせ、マスターはナッツとオリーブの塩漬けの盛り合わせを2人に差し出す。悪名高い2人のことだ、このまま命を奪われるかもしれない…と心中でごちつつ更に言葉を続けようとした。
「御代の方はけっこ」「おま！ふざけるなトラファルガー！マスターすまねぇ今のは忘れてくれ。」「は、はい…」
マスターの言葉にかぶせるようにユースタスの怒声が響く。困惑の色にまみれたマスターは、1人くつくつと満足げに笑うトラファルガーに視線を向けた。
「ふふっ。相変わらず初心だなぁ。キッド海賊団は色仕掛けで籠絡できるんじゃねぇか？」「はっ！俺の船はそんなんじゃ沈まねぇ。大体、一山いくらのビッチに言われたところでどうもなんねぇよ。お前だけだ。」
おやおやこれは。マスターははつはつと瞬きをした。さっきまでの不敵な笑みは消え、僅かに朱が滲んだ頬を隠すように帽子をかぶりなおすトラファルガーは初心な町娘のようにさえ見える。

「あ、マスターおかわり頼んでいいか？」「はい、なにになさいますか？」「パライソでなにか作ってくれ。」「かしこまりました。」
注文を受け、グラスを差し出してくるバーテンと視線を交わす。世間を騒がす海賊団の船長2人は。どうやら決闘ではなく久方ぶりの逢瀬のためにこの店を選んだらしい。ならばこの酒の席を楽しんでもらうのが、この店のためにもなる。マスターとバーテンは、しっかりとお互いのなすべきことを確認し合った。すなわち、静かに邪魔にならないように…である。
「お待たせしました。」
飾り切りしたオレンジとチェリーを添えたパライソ・オレンジをユースタスに差出し、それきりマスターとバーテンは存在を薄くした。もっとも、それはなかなか難しいことであった。

「お、チェリーだ。トラファルガーあれやってくれ。」「あぁ？ふん。なんだ、まだ出来ないのか？」「うるせぇなぁ。いいから早く結んでみろよ。」「俺に命令するな。」
ユースタスが嬉々として差し出すチェリーの茎をトラファルガーがその薄い舌で結んでみたり…

「相変わらず…このコートはいいものだな…」「おい、コートにすり寄るな。」「へへ…コートも俺に会えて悦んでやがる…」「おい！トラファルガー！」「可愛い毛並だ…」「コートと俺とどっちが…くそっ！」
深紅の毛皮のコートに嫉妬するユースタスが歯噛みしたり挙句恥ずかしいセリフを吐いたり…

「美味かったぜ。釣りはいらねぇ」「ごちそうさん。」
その他様々なパターンを繰り広げ濃密な2時間が過ぎた結果、2人が気前よく置いて行った金貨が砂糖まみれに見えるほどマスターとバーテンの心は摩耗したのである。しかしまぁ、いくら人目を憚らない2人でも大物海賊。店を閉めた帰り道に、賞金稼ぎが転がっていたのはさすがであった。問題は、それらが転がっていたのが連れ込み宿へと続く道だったことだが…マスターとバーテンは菩薩のような心で家路についたという。

人がいなくなった店内で、空になった楽園だけが朝日を浴びて輝いていた。




あとがき
年下×年上を限界値まで意識してみました。
マスターは老眼鏡かけていてやもめです。昔は名うての海賊でしたが、愛した女のために陸に上がりました。その後、流行病で彼女を亡くしてからは趣味のカクテル作りを極めてバーをやっています。ぼったくりバーではない良心的なバーですが、某ぼったくりバーを営んでいる方と同世代だったりします。カットラス使いで、現役最後のカットラスはいまだ自宅で大事に手入れしています。
此度の閲覧、誠にありがとうございました。
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